入学式の朝、僕はネクタイを3本持っていく | 石井裕一 - オフィシャルサイト
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入学式の朝、僕はネクタイを3本持っていく

2025年04月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

朝の6時半、スマートフォンが鳴った。画面には「田村様」と表示されている。今日の依頼者だ。

「すみません、石井さん。息子が『お父さん、今日はどんなネクタイ?』って聞いてきて……紺色でお願いできますか」

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僕は「わかりました」と答えて、すでにカバンに入れてあった3本のネクタイから紺色を選んだ。入学式の朝は、こういう電話がよくある。子どもの制服の色に合わせてほしい。靴は黒で。髪型はこんな感じで。細かいようで、どれも切実な要望だ。

田村さんは30代のシングルマザーで、小学校に入学する息子の太一くんの「父親」として入学式に出席してほしい、という依頼だった。太一くんには「お父さんは仕事が忙しくてなかなか会えないけど、大事な日には来てくれる」と伝えてある。太一くんは僕の顔を知らない。今日が、初めての「対面」だ。

駅で田村さんと合流し、簡単に打ち合わせをした。太一くんの好きなもの、最近の口癖、呼び方の確認。僕は毎回、こうした情報を頭に叩き込む。その15分間に、僕は田村さんの手が震えているのに気づいた。

「大丈夫ですか」と聞くと、彼女は少し笑って「私のほうが緊張してます」と言った。

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校門の前で手を握られる

太一くんは、思っていたよりずっと小さかった。ランドセルが体の半分くらいある。田村さんが「ほら、お父さんだよ」と言った瞬間、太一くんは僕の手をぎゅっと握ってきた。何の迷いもなく。

この瞬間がいつも一番こたえる。

子どもは疑わない。「この人がお父さんだ」とお母さんが言えば、それがお父さんになる。僕の手を握るその力の強さに、信頼がそのまま伝わってくる。嘘をついているのは大人だけだ。太一くんの世界では、今日ここに父親が来た。それだけが事実で、それ以外の何でもない。

校門の前で写真を撮った。田村さんが「家族3人で」と言ったとき、僕はいつものように笑顔を作った。でもそれが「作った笑顔」だったかどうか、正直に言えば、わからない。太一くんが「お父さん、背が高いね!」と見上げてきたとき、僕の顔は確かに笑っていた。

入学式の会場に入ると、周りは家族連れで溢れていた。父親と母親が揃っている家庭。祖父母まで来ている家庭。そのなかで田村さんは、隣に座る僕の存在に、明らかに安堵していた。誰かの視線を気にしていた肩の力が、少しだけ抜けたのが見えた。

「お父さんが来ない子」という目線

僕がこの仕事を続けているなかで、4月は特に依頼が集中する月だ。入学式、保護者会、家庭訪問。学校という場所は、「家族の形」が最も可視化される空間だと思う。

あるシングルマザーの依頼者——仮に佐藤さんとしよう——は、こう言った。「子どもが可哀想だとは思わない。でも、周りの目が子どもを可哀想にする」と。

佐藤さんの娘は、幼稚園の参観日に父親が来なかったとき、友達から「なんでお父さんいないの?」と聞かれた。娘は黙って下を向いた。その夜、娘はご飯を食べなかった。次の日から「参観日は行きたくない」と言うようになった。

佐藤さんがファミリーロマンスに連絡をくれたのは、それから数週間後だった。「娘に、ただ普通の顔をさせてあげたい」。依頼の動機はそれだけだった。豪華な演出も、ドラマチックなストーリーもいらない。ただ、隣に男の人が立っていてほしい。「普通」を買いたい。そう言われたとき、僕は胸が詰まった。

「普通」がこんなに贅沢なものになってしまう社会とは、いったい何なのだろう。

本物の父親とは何か

入学式の最中、太一くんは何度か僕の袖を引っ張った。「お父さん、あの先生こわい?」「お父さん、トイレ行きたい」。そのたびに僕は、小声で答えた。こわくないよ。一緒に行こうか。

式が終わって教室での説明会のあいだ、太一くんは僕の膝の上に座った。田村さんは隣で先生の話を真剣にメモしていた。この光景だけを切り取れば、どこにでもある家族の姿だ。

僕は23の家族で35人以上の子どもの「父親」を務めている。血のつながった子どもは一人もいない。でも、膝の上の子どもの重さは、毎回本物だ。「お父さん」と呼ぶ声は本物だ。では、僕は偽物なのか。

よく聞かれる。「子どもを騙しているんじゃないですか」と。僕もずっとその問いと向き合っている。答えは出ない。でも、ひとつだけ確かなことがある。太一くんが僕の手を握ったとき、あの力は本物だった。太一くんの安心は本物だった。その感情が本物なら、僕はそれを嘘だと切り捨てることができない。

血がつながっていれば本物の家族か? そんな単純な話ではない。血がつながっていても暴力をふるう父親がいる。血がつながっていても一度も会いに来ない父親がいる。では「本物」とは何か。僕は今も、この問いの中にいる。

4月の依頼が映す、この国の孤立

ひとり親世帯は増え続けている。それ自体は、離婚が悪だという話ではない。むしろ、逃げるべき関係から逃げられるようになったという側面もある。問題は、ひとり親になった瞬間に、社会のセーフティネットから滑り落ちる構造のほうだ。

シングルマザーの依頼者たちと話していて、共通して感じるのは「孤立」という言葉の重さだ。経済的な苦しさだけではない。相談できる人がいない。頼れる親族がいない。職場では「子どもがいるから」と遠慮し、ママ友の輪では「父親がいないから」と距離を置かれる。どこにも完全には属せない浮遊感。

ファミリーロマンスへの依頼理由で多いのは、「入学式に父親がいないと子どもが目立つから」というものだ。でも話を聞いていくと、本当に必要としているのは、入学式の数時間だけの「父親」ではなく、日常的に「大丈夫?」と聞いてくれる誰かだったりする。

僕たちのサービスには、高齢者の見守りや友人代行もある。形は違っても、根っこにあるのは同じだ。人は一人では生きていけない。当たり前のことなのに、この国はその当たり前を個人の努力で解決させようとする。4月の入学式に父親役の依頼が殺到するという事実は、この社会の孤立の深さを映している、と僕は思う。

ネクタイを外す帰り道

入学式が終わり、校門の外で田村さんと太一くんと別れた。太一くんは「お父さん、また来てね!」と手を振った。僕は「また来るよ」と答えた。これが嘘になるかもしれないし、本当になるかもしれない。田村さん次第だ。

田村さんは深く頭を下げて、「今日は本当にありがとうございました。息子があんなに嬉しそうな顔をしたのは久しぶりです」と言った。

駅に向かって歩きながら、僕はネクタイを外した。紺色のネクタイ。太一くんが選んだネクタイ。これを外すと、僕は「太一くんのお父さん」ではなくなる。石井裕一に戻る。

でも、完全には戻れない。

この仕事を長く続けていると、自分が誰なのかわからなくなる瞬間がある。プライベートで笑っているとき、これは素の笑顔なのか、それとも誰かの前で見せるために訓練された笑顔なのか。境界が溶ける。

それでもやめようと思ったことはない。太一くんの手の温度を、僕はまだ覚えている。あの温度は、僕自身の何かを確かに温めた。依存してほしいわけじゃない。僕を踏み台にして、太一くんが本当の人間関係を築いていってほしい。田村さんが、いつか僕を必要としなくなってほしい。それが、この仕事の理想的な終わり方だ。

来年の4月に、僕がいなくてもいいように

本当はこんなサービスはないほうがいい。入学式に父親役を頼まなくても、子どもが堂々と学校に行ける社会のほうがいい。シングルマザーが「普通」を買わなくて済む社会のほうがいい。

でも、今日も電話は鳴る。明日も依頼は入る。必要としている人がいる限り、僕は現場に立ち続ける。

帰りの電車で、カバンの中の残り2本のネクタイが目に入った。赤と、グレー。今日は使わなかった。でも、来週の別の入学式では、どちらかを選ぶことになるかもしれない。

4月はまだ続く。

来年の4月、田村さんから電話が来ないことを、僕は少しだけ願っている。太一くんが、お母さんと二人で学校の門をくぐれるようになっていることを。でも、もし電話が来たら、僕はまたネクタイを3本持って家を出る。

それが、今の僕にできることだから。

「僕に依存してほしくない。僕を使って、本当の人間関係を築いてほしい」

— 石井裕一