入学式の校門で、僕は「お父さん」になる
2026年04月01日

校門の前で、僕はネクタイを締め直した。
隣にいる女性——仮にユキさんとしよう——が、小さな声で言った。「すみません、もう一度だけ確認させてください。娘の名前は——」
「ミウちゃんでしょう。大丈夫ですよ」
ユキさんは頷いた。でもその手は震えていた。新品のハンドバッグの持ち手を、白くなるほど握りしめていた。
ミウちゃんは6歳。今日が小学校の入学式だ。紺色のワンピースに、おろしたてのランドセル。桜が風に揺れていて、絵に描いたような春の朝だった。
ミウちゃんが僕を見上げて言った。「おとうさん、手、つないで」
僕はその手を握った。小さくて、少し湿っていて、温かかった。
これが僕の仕事だ。
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4月になると、依頼が急増する。入学式、それから参観日の予約。特にシングルマザーからの依頼が多い。「父親役をお願いしたいんです」。その一言の裏にある事情は、一人ひとり全く違う。
離婚した人。死別した人。最初から一人で産むことを選んだ人。DVから逃れてきた人。理由はさまざまだけど、共通しているのは、子供に「なんでうちにはお父さんがいないの」と聞かれたときの、あの表情だ。電話越しでも、それはわかる。声がほんの少し、途切れる。
ユキさんの場合は、離婚だった。ミウちゃんが2歳のときに別れた。理由は聞かない。聞く必要がない。僕が知るべきなのは、今日一日、どういう「お父さん」でいればいいかということだけだ。
打ち合わせでユキさんはこう言った。「普通のお父さんでいてください。特別なことはしなくていいです。ただ、普通に」
この「普通」が、実はいちばん難しい。
入学式の会場に入ると、周りは家族連れであふれていた。父親がビデオカメラを構えている。母親が子供の襟を直している。祖父母が目を細めている。どこにでもある、ありふれた光景。でもユキさんにとっては、その「ありふれた光景」の中に自分たちだけが欠落しているように感じていたのだと思う。
式が始まった。新入生の名前が一人ずつ呼ばれる。「タナカ ミウさん」。ミウちゃんが「はい」と手を挙げた。小さな声だったけど、ちゃんと聞こえた。
隣でユキさんが泣いていた。静かに、音を立てないように。僕はポケットからハンカチを出して渡した。こういうとき、言葉はいらない。ただ、隣にいる。それだけでいい。
式が終わって、教室の前で記念写真を撮った。「はい、じゃあ3人で撮りますよ」と、隣にいたお母さんが声をかけてくれた。僕はミウちゃんを抱き上げて、ユキさんの隣に立った。シャッターが切られた。
その写真の中では、僕たちは家族だった。
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こういう依頼を受けるたびに思うことがある。
なぜ、入学式に父親がいなければならないのか。
冷静に考えれば、いなくてもいい。制度上、何の問題もない。シングルマザーの家庭は珍しくないし、今どき片親だからといって差別されるような時代ではない——と、みんな言う。
でも現場は違う。
ある依頼者——仮にサトミさんとしよう——は、上の子の入学式に一人で行った。「大丈夫、一人で行ける」と思っていた。実際、式自体は問題なく終わった。でも、教室に移動するとき、他のお父さんたちが子供を肩車しているのを見て、足が止まった。帰り道、子供に「ねえ、なんでお父さん来なかったの?」と聞かれた。「お仕事だよ」と答えた。子供は「ふうん」と言っただけだった。
その「ふうん」が、ずっと胸に刺さっていたとサトミさんは言った。だから下の子のときは、僕に依頼した。
僕はこの話を聞いて、怒りに似たものを感じた。サトミさんに対してではない。「一人で大丈夫でしょう」と簡単に言える社会に対してだ。大丈夫じゃないから、僕のところに電話がかかってくる。
シングルマザーの貧困率の話は、データを見ればわかる。でもデータに出てこない苦しさがある。入学式の持ち物リストに「保護者」と書かれていること。保護者会で「ご主人は?」と聞かれること。子供が父の日に絵を描けないこと。そういう、小さくて、でも確実に積み重なっていく痛み。
僕の仕事は、その痛みを一時的に覆い隠すことだ。根本的な解決ではない。わかっている。
でも、入学式は一度しかない。
その一度を、子供が「お父さんと一緒に行った」と記憶するのか、「お父さんはいなかった」と記憶するのか。それは、その子のこれからの人生に、思っている以上に影響する。少なくとも僕は、現場でそう感じてきた。
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もうひとつ、忘れられない話がある。
ある入学式で、僕は「お父さん」として参加した。式が終わって校庭に出ると、ミウちゃんとは別の依頼の話だけど、その子が——仮にコウタくんとしよう——僕の手を引っ張って、クラスメイトのところに連れていった。
「これ、ぼくのおとうさん!」
コウタくんは誇らしげだった。僕を見上げる目がキラキラしていた。そのとき僕は、自分が何者なのか、一瞬わからなくなった。この子にとって、僕は本物のお父さんだ。でも僕は、数時間後にはこの子の生活から消える。
嘘をついている。確実に嘘をついている。
でも、コウタくんのあの笑顔は嘘だったか。お母さんが「ありがとうございます」と頭を下げたあの感謝は嘘だったか。僕がコウタくんの手を握って感じた、あの温もりは嘘だったか。
本物って、何なんだろう。
血のつながりがあっても、入学式に来ない父親がいる。養育費を払わない父親がいる。暴力を振るう父親がいる。一方で、僕のように血のつながりがなくても、その日一日だけ全力で「お父さん」を生きる人間がいる。
どちらが本物の父親か。そんなの、僕にはわからない。わからないけど、少なくとも、あの校庭でコウタくんの手を握っていたあの瞬間、僕の中に流れていた感情は本物だった。それだけは、言える。
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本当はこんなサービスはないほうがいい。
入学式に父親がいなくても、誰も気にしない社会。「保護者」の欄に一人分の名前しかなくても、何の説明もいらない社会。子供が「うちはお母さんだけだよ」と、何の屈託もなく言える社会。そうなれば、僕の仕事の半分はなくなる。
でも今日も、電話は鳴る。
「4月の入学式なんですが……父親の代わりを……」
声は決まって少し小さい。まるで、こんなことを頼む自分を恥じているかのように。僕はいつもこう返す。「大丈夫ですよ。お任せください」
恥じることなんて何もない。子供のために頭を下げられる親は、それだけで立派だと僕は思う。
ミウちゃんの入学式の帰り道、ユキさんが言った。「今日の写真、リビングに飾ってもいいですか」
僕は少し考えて、「もちろん」と答えた。
あの写真の中の僕は、ネクタイを締めて、ミウちゃんを抱いて、ユキさんの隣で笑っている。見る人が見れば、どこにでもいる普通の家族だ。
ユキさんが望んだ「普通」が、あの一枚の中には確かにあった。
それがフィクションだと言われれば、そうかもしれない。でも、ミウちゃんがランドセルを揺らしながら「おとうさん、またね」と手を振ったあの瞬間——僕はうまく笑えなかった。
「またね」と返しながら、次がないかもしれないことを、僕だけが知っていた。
桜が散り始めていた。風が少し冷たかった。ネクタイを緩めて、僕は次の現場に向かった。