運動会で声を枯らす男 | 石井裕一 - オフィシャルサイト
レンタル父親

運動会で声を枯らす男

2024年10月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

「パパ、来てくれたんだ」

校庭の入り口で、赤い帽子をかぶった小学三年生の男の子——仮にユウタとする——が僕を見上げた。目が丸くなって、それから少し潤んで、最後にくしゃっと笑った。その表情の変化は、たぶん二秒もなかった。でも僕はその二秒を、何年経っても忘れられない。

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十月の朝は空気が澄んでいて、校庭に張られた万国旗がぱたぱたと音を立てていた。保護者席にはレジャーシートがびっしり敷かれ、三脚に据えたビデオカメラがずらりと並んでいる。僕はユウタの母親である美咲さん(仮名)の隣に座り、配られたプログラムに目を落とした。かけっこ、玉入れ、綱引き、組体操。どこにでもある、ごく普通の運動会。ただ一つ違うのは、ユウタの「お父さん」の席に座っているのが、血のつながらない僕だということだけだ。

「パパの声、聞こえたよ」

僕はこの仕事を長くやっている。運動会の父親代行だけでも、もう数え切れないほど経験した。それでも毎回、緊張する。

理由は単純で、運動会は「周囲の目」が多いからだ。他の保護者、祖父母、先生。全員がなんとなくお互いを見ている。「あの子のお父さん、初めて見るね」——そんな一言が、依頼者の母親を追い詰める。だから僕は、事前の打ち合わせを入念にやる。家族構成、ユウタの性格、担任の先生の名前、仲のいい友達の名前、去年の運動会でどんな種目に出たか。全部頭に入れる。美咲さんとは三回打ち合わせをした。LINEのやり取りは五十往復を超えていた。

かけっこのピストルが鳴った。ユウタは四人中三番目にスタートを切り、コーナーで少しふらついた。僕は立ち上がって叫んだ。「ユウタ、いけ!」。気づいたら隣のお父さんと同じくらいの声量が出ていた。結果は三着。ユウタは僕のほうをちらっと見て、照れくさそうに手を振った。

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昼休み、三人でお弁当を食べた。美咲さんが朝四時から作ったという唐揚げとおにぎり。ユウタが「パパの声、聞こえたよ」と言った。「めっちゃでかかった」と笑った。僕も笑った。美咲さんは黙って卵焼きを口に運んでいたけれど、その目がほんの少し赤くなっていたのを、僕は見ていた。

運動会という名の戦場

運動会は、子どもにとって晴れ舞台だ。でも「父親がいない子ども」にとっては、一年で最も残酷な一日にもなりうる。

親子競技がある。「お父さんと一緒にパン食い競争」「お父さんの背中に乗って騎馬戦」。プログラムに「お父さん」という文字が並ぶたびに、母親たちは胸が締まる。美咲さんもそうだった。最初に相談を受けたとき、彼女はこう言った。「去年はおじいちゃんに来てもらったんです。でもユウタが『みんなパパなのに、なんで僕だけおじいちゃんなの』って泣いて……」

僕のもとには、毎年九月の半ばから運動会の依頼が増え始める。十月に入るとピークを迎え、スケジュールは埋まっていく。五千人以上いるスタッフの中から、依頼者の希望に合う年齢・雰囲気の人間を選び、事前に何度も打ち合わせをする。

ただ、僕自身が現場に出ることも多い。とくに「子どもが父親の不在をはっきり認識している」ケースでは、経験の浅いスタッフでは対応が難しい。子どもは大人が思っている以上に鋭い。嘘を見抜く。だから僕は、嘘をつかないようにしている。演じるのではなく、その日だけは本気でその子の父親になる。声を枯らすほど応援する。転んだら本気で心配する。一等を取ったら本気で喜ぶ。感情に嘘がなければ、子どもは受け入れてくれる。少なくとも、僕はそう信じている。

名前を間違えてはいけない

父親代行で最も緊張する瞬間は何かと聞かれたら、僕は迷わず「名前を呼ぶとき」と答える。

僕は現在、二十三家族で三十五人以上の子どもの「父親」をやっている。運動会のシーズンには、週末だけで三つも四つもの学校を回ることがある。朝は別の学校でケンタ(仮名)の父親、午後は別の学校でアオイ(仮名)の父親。頭の中でスイッチを切り替える。設定を切り替える。でも感情は——感情だけは、毎回ゼロから本物を注ぎ込む。

だからこそ、名前だけは絶対に間違えてはいけない。かつて一度だけ、危ない瞬間があった。午前中に応援していた子の名前が口をつきそうになった。寸前で飲み込んだ。あのときの冷や汗は、今でも覚えている。

それ以来、僕は運動会の朝、必ずその子の名前を三十回声に出して練習するようにしている。車の中で、一人で。「ユウタ、ユウタ、ユウタ……」。はたから見たら奇妙だろう。でも、あの子たちにとって「パパが自分の名前を呼んでくれる」ことがどれだけ大きいか。それを知っている僕には、やめるという選択肢がない。

なぜ「父親」が必要なのか

こういう仕事をしていると、必ず聞かれることがある。「母親一人じゃダメなんですか?」と。

ダメじゃない。もちろんダメじゃない。片親で立派に子どもを育てている人はたくさんいる。美咲さんだって、毎日朝五時に起きてパートに出て、夕方にはユウタを迎えに行って、夜は宿題を見て、週末は公園に連れていく。誰よりも頑張っている。

でも、運動会の日だけは、「みんなと同じ」であってほしい。ユウタがそう思っている。美咲さんもそう思っている。その「みんなと同じ」を一日だけ叶えるために、僕がいる。

社会が変われば、こんなサービスは必要なくなるかもしれない。父親がいなくても、母親が二人でも、祖父母でも、誰が来ても「普通」とされる世界。そうなってほしい。本当はこんなサービスはないほうがいい。でも、今日この瞬間に必要としている子がいる。その子に「来年まで待って」とは言えない。子どもの一年は、大人の一年とは重みが違う。小学三年の運動会は、人生で一度きりだ。

声が枯れた午後三時

午後の部が始まる頃には、僕の声はかなりかすれていた。

綱引きでは保護者の参加があった。僕は迷わず列に加わった。隣に並んだ他の父親たちと「よろしくお願いします」と頭を下げ合った。誰も僕を疑わなかった。当然だ。僕は今日、ユウタの父親なのだから。綱を握る手に力を込めた。勝った。ユウタが跳び上がって喜んだ。

閉会式が終わり、校庭に夕方の影が伸び始めた頃、ユウタが僕の手を握った。小さくて、少し汗ばんでいて、砂がついていた。「パパ、また来てね」。僕は「うん」と答えた。それ以上は何も言えなかった。声が枯れていたからだ——と、そういうことにしておく。

美咲さんが校門のところで深く頭を下げた。「ありがとうございました」。その声は震えていた。僕は「ユウタ、速かったですね」とだけ言った。事実だった。三着だったけれど、コーナーの立て直しは見事だった。

帰りの車の中で、僕はハンドルを握りながら考えた。今日、僕は何者だったのか。ユウタにとっての「パパ」。美咲さんにとっての「夫の代わり」。他の保護者にとっての「ユウタくんのお父さん」。そして僕自身にとっては——それが、いつもわからなくなる。

「本物」は誰が決めるのか

血がつながっていれば本物の家族か。そんな単純な話ではないと、僕は思う。

ユウタが「パパの声、聞こえたよ」と言ったとき、あの笑顔は本物だった。僕が「いけ!」と叫んだとき、あの声は本物だった。美咲さんが卵焼きを食べながら涙をこらえていたとき、あの感情は本物だった。

偽物なのは、僕の肩書きだけだ。

ファミリーロマンスには、運動会以外にもさまざまな依頼がある。謝罪代行、結婚式の代理出席、友人代行、高齢者の見守り。どれも根っこは同じだ。「誰かにそばにいてほしい」という、人間の最もシンプルな願い。

僕に依存してほしくない。僕を使って、本当の人間関係を築いてほしい。いつもそう思っている。でも同時に、依存しなければ生きていけない夜があることも知っている。矛盾している。矛盾しているけれど、僕はその矛盾ごと引き受けると決めた。

十月の運動会シーズンが終わると、僕の喉はいつもボロボロになっている。のど飴を舐めながら、次の依頼の資料に目を通す。来週は別の学校で、別の子の父親になる。また声を枯らすだろう。また名前を三十回練習するだろう。また、小さな手を握るだろう。

あなたにとって、「本物の父親」とは何だろう。

僕にはまだ、答えが出ていない。たぶん一生出ない。でも、出ないまま走り続けることが、僕のやり方なのだと思う。来週もまた、校庭のどこかで声を枯らしている男がいたら——それは、僕かもしれない。

「血がつながっていなくても、愛情は生まれる。それを僕は、この仕事で学んだ」

— 石井裕一