自由研究の横に座る、他人の僕 | 石井裕一 - オフィシャルサイト
レンタル父親

自由研究の横に座る、他人の僕

2024年07月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

麦茶の結露がテーブルに丸い跡をつくっていた。

その日、僕は小学5年生の男の子——仮にユウタとしよう——の隣に座って、夏休みの自由研究の計画表を一緒に眺めていた。テーマは「氷の溶け方を調べる」。砂糖水、塩水、ただの水。それぞれ製氷皿で凍らせて、溶ける速さを比較するという、シンプルだけどちゃんと理科になっている内容だった。

「お父さん、塩水ってさ、凍りにくいんだよ。だから溶けるのも速いと思う」

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ユウタはそう言いながら、ノートにマジックで表を描いていた。線がちょっと曲がるたびに消しゴムで直す。几帳面な子だ。僕は「へえ、なんでそう思うの?」と聞き返す。父親の顔で。

僕は彼の本当の父親ではない。

ユウタのお母さん——仮にサトミさんとしよう——から依頼を受けたのは、ユウタが小学3年生のときだった。離婚の経緯は詳しくは書けないけれど、サトミさんは「この子に、お父さんと宿題をやった記憶をつくってあげたい」と言った。その言葉が、今も僕の中に残っている。

記憶をつくってあげたい。

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サトミさんが求めていたのは、問題を解いてくれるプロの家庭教師ではなかった。正解を教える人でもない。ただ隣に座って、「どれどれ」と覗き込んで、「お、いいじゃん」と言ってくれる存在。間違えたときに「惜しいな」と笑ってくれる存在。それが父親だと、サトミさんは思っていた。

僕もそう思う。

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夏休みの宿題というのは、レンタル父親の依頼の中でも独特の空気がある。

運動会や授業参観には「本番」がある。始まりと終わりがはっきりしていて、観客席に座って拍手すればいい場面も多い。でも宿題は違う。リビングのテーブルで、だらだらと、でも確実に時間が流れる。逃げ場がない。ごまかしが利かない。

子どもは見ている。

隣の大人が本当に自分の宿題に興味を持っているかどうか。スマホをチラチラ見ていないか。あくびを噛み殺していないか。全部わかっている。だから僕は、宿題の依頼のときがいちばん緊張する。

ユウタの自由研究に話を戻そう。

計画表を書き終えたあと、僕たちはキッチンに移動した。サトミさんが用意してくれていた製氷皿に、三種類の水を入れる。ユウタは計量カップで水の量を測りながら、「お父さん、ちゃんと200ミリリットルになってる?」と聞いてくる。僕は横から覗き込んで、「うん、ぴったり」と答える。

こういう瞬間に、胸の奥が軋む。

200ミリリットルを一緒に確認するだけのこと。それだけのことが、この子にはなかった。僕が来るまで、なかったのだ。

凍るまで時間がかかるから、待っている間にドリルをやろうということになった。算数の「小数のかけ算」。ユウタは筆算は得意だけれど、小数点を打つ位置でときどき混乱する。

「お父さん、これ、ここに点打つの?」

「どう思う?」

「……ここ?」

「数えてみ。かける数の小数点以下が何桁で、かけられる数が何桁で」

「えっと……あ、わかった。ここだ」

「正解」

僕はハイタッチをした。ユウタの手のひらは少し汗ばんでいて、小さかった。

この子の手は、いつか僕の手より大きくなるだろう。そのとき僕は隣にいるだろうか。いないかもしれない。依頼が終われば、僕はいなくなる。それがこの仕事だ。

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レンタル父親として夏休みの宿題に関わるようになって、気づいたことがある。

子どもにとって宿題とは、「内容」ではない。少なくとも、内容だけではない。

読書感想文を書いているとき、隣で同じ本を読んでくれた人がいたこと。自由研究で失敗したとき、「もう一回やってみようか」と言ってくれた声。ドリルが全部終わったとき、「よくがんばったな」と頭を撫でてくれた手。子どもが大人になってから思い出すのは、答えではなく、あの夏の空気のほうだ。

僕はそう信じている。

だからこそ、考えてしまう。僕がつくっている「空気」は、本物なのか。

ユウタは僕のことを父親だと思っている。サトミさんは真実を伝えていない。僕が「いい空気」をつくればつくるほど、この子の記憶には「優しいお父さんと過ごした夏休み」が刻まれていく。それは嘘で塗り固められた記憶だと言う人もいるだろう。

でも、あの汗ばんだ手のひらの感触は本物だった。「お父さん、ここに点打つの?」と聞いてきたときの、少し不安そうな目は本物だった。「正解」と言ったときにぱっと広がった笑顔は、間違いなく本物だった。

感情が本物なら、それは本物だ。僕はそう思いたい。でも同時に、そう思いたがっている自分を疑ってもいる。

ある依頼先のお母さんにこう言われたことがある。「石井さん、うちの子があなたに懐けば懐くほど、本当のことを言えなくなるんです」と。その通りだと思った。僕たちの仕事は、うまくいけばいくほど、出口が見えなくなる。

それでも僕は、あのテーブルに座り続ける。

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夕方、実験用の氷が固まった。ユウタは冷凍庫から製氷皿を三つ取り出して、それぞれ皿の上にひっくり返した。タイマーを三つ並べて、「よーい、スタート!」と自分で合図を出した。

塩水の氷がいちばん早く形を崩し始めた。

「やっぱり! お父さん、僕の予想当たった!」

ユウタは飛び跳ねた。僕も「すごいな、研究者じゃん」と笑った。サトミさんがキッチンの入り口からそっと見ていたのを、僕は視界の端で捉えていた。彼女は泣いてはいなかった。ただ、唇をきゅっと結んで、静かに頷いていた。

あの表情を、僕はうまく言葉にできない。

感謝とも、安堵とも、後ろめたさとも違う。たぶん、そのすべてが混ざったものだったのだろう。親というのは、子どもの笑顔を見て泣きたくなることがあるらしい。僕には子どもがいないから、想像するしかない。でもサトミさんのあの表情を見たとき、少しだけわかった気がした。

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帰り道、駅までの道を歩きながら考えた。

来年の夏も、僕はあのテーブルに座っているだろうか。ユウタは6年生になる。自由研究のテーマはもう少し複雑になるかもしれない。読書感想文の本も、厚くなるかもしれない。そして再来年、ユウタが中学に上がったら——依頼は終わるかもしれない。サトミさんがそう決めるかもしれないし、ユウタ自身が「もう別にいいよ」と言うかもしれない。

それでいい。

僕に依存してほしくない。僕を踏み台にして、本当の人間関係を築いてほしい。いつも思っていることだ。

でも、正直に書く。

あの「お父さん、ここに点打つの?」という声を、僕はたぶん忘れない。忘れたくない。ユウタがいつか真実を知るのか知らないのか、僕にはわからない。知ったとき、あの夏の記憶がどう変わるのかも、わからない。

ただ、あの日。七月の暑い午後。麦茶の結露がテーブルに丸い跡をつくっていた、あの時間だけは——僕たちは確かに、父と子だった。

少なくとも、僕はそう思っている。

「血がつながっていなくても、愛情は生まれる。それを僕は、この仕事で学んだ」

— 石井裕一