2月14日、僕は「夫」として chocolate を受け取る | 石井裕一 - オフィシャルサイト
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2月14日、僕は「夫」として chocolate を受け取る

2025年02月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

「はい、これ。毎年ありがとう」

仮名で美咲さんとしよう。彼女はキッチンに立ったまま、小さな紙袋をこちらに差し出した。リビングでは小学3年生の娘がテレビを観ている。僕は「ありがとう、今年も手作り?」と笑い、紙袋を受け取った。中にはガトーショコラがひとつ。娘が「お父さんにもあげるー」と走ってきて、僕の膝に小さな包みを押しつけた。

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僕はその家の夫でも、父でもない。レンタル夫として、年に数回この家を訪れている。バレンタインの日は、毎年欠かさない訪問日のひとつだ。

2月に入ると、ファミリーロマンスへの「レンタル夫」の依頼は目に見えて増える。クリスマスやお正月とは質が違う。もっと静かで、もっと切実な依頼。なぜバレンタインなのか。何年もこの仕事をしてきて、僕なりに見えてきたものがある。

チョコレートを渡す相手がいないという孤独

バレンタインデーに寂しいのは、「もらえない人」だけではない。「渡す相手がいない人」もまた、孤独のなかにいる。

美咲さんの夫は数年前に家を出た。離婚が成立してからも、娘には「お父さんは仕事が忙しい」と伝えている。娘の友達の家では、バレンタインの日にお父さんにチョコを渡すのが恒例になっている。学校で「パパに何あげた?」という会話が始まると、娘は黙るしかない。

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美咲さんが僕に依頼してきた理由は明快だった。「娘に、チョコを渡す相手をつくってあげたいんです」と。

ただ、何度か通ううちに気づいた。美咲さん自身も、誰かにチョコレートを手渡すという行為を必要としていた。受け取ってもらえること。「ありがとう」と言ってもらえること。その小さなやりとりが、彼女の一年を支えている。

2月の依頼が増える理由のひとつは、ここにある。バレンタインは「誰かに気持ちを渡す日」だ。渡す先がないとき、人は自分の気持ちの行き場を失う。行き場を失った感情は、静かに人を蝕む。僕はその受け皿として、テーブルの向かいに座っている。

「いつも通りの夫婦」を演じる2月14日

バレンタインの依頼には、もうひとつ大きなパターンがある。親や親戚への「既婚者」の証明だ。

仮名で由香さん。30代後半。実家の母親が毎年2月になると「今年のバレンタインは旦那さんに何をあげるの?」と電話してくる。由香さんは離婚している。でも、母親には言えていない。母親の体調がよくないこと、「あなたが幸せならそれでいい」と繰り返す母親をこれ以上心配させたくないこと。理由は複雑に絡み合っている。

僕は由香さんの「夫」として、年に数回、実家を訪問する。バレンタインの日は特に重要だ。由香さんの母親は、娘が夫にチョコレートを渡す姿を見届けたい。食卓で一緒にケーキを食べたい。それが「幸せな家庭」の証だと信じている。

由香さんは前日にデパートでチョコレートを買い、当日の朝、僕にLINEで「好みわかんないけど、ビター系にしました。すみません」と送ってくる。僕は毎年「ビター好きなので助かります」と返す。実際、僕はビターが好きだ。ここだけは嘘じゃない。

母親の前で「ありがとう」とチョコを受け取り、照れたように笑う。母親は「仲がいいわね」と目を細める。由香さんは少しだけうつむく。あの表情の意味を、僕はあえて言葉にしない。

感情は「嘘」の中にも宿るのか

こういう仕事をしていると、必ず聞かれることがある。「それって虚しくないですか」と。

正直に言えば、わからない。

美咲さんの娘が「お父さん、はいっ」と差し出すチョコレートを受け取ったとき、僕の中に生まれる感情は本物だ。嬉しいと思う。この子が一生懸命ラッピングしたんだろうなと想像する。手についたチョコのあとを見て、微笑む。その瞬間、僕は演じているのか、感じているのか、自分でもわからなくなる。

ある哲学者は「感情に本物も偽物もない。感じた時点で、それは本物だ」と言ったらしい。僕は哲学者じゃないから、そんなきれいにまとめられない。ただ、現場で思うのは、嘘の関係の中で生まれた感情を「偽物だ」と切り捨てることは、僕にはできないということだ。

バレンタインという行事は、気持ちを形にする日だ。チョコレートという「形」が先にあって、そこに感情が乗る。レンタル夫という「形」が先にあって、そこに感情が乗ることは、本当にありえないことだろうか。あなたはどう思いますか。

2月14日が「普通の日」ではない社会

バレンタインの依頼が増える背景には、この社会が「カップル」や「家族」を前提にしているという構造がある。

コンビニもデパートもカフェも、2月に入れば一斉にバレンタインの装飾になる。テレビをつければ「大切な人に」と繰り返される。SNSには手作りチョコの写真が並ぶ。それ自体は悪いことじゃない。でも、パートナーのいない人、家族を失った人、家族に嘘をついている人にとって、2月14日は「普通の日」ではいられない。

ファミリーロマンスには、バレンタイン当日だけではなく、その前後にも依頼が入る。「2月14日に一人でいたくない」という依頼。「バレンタインの翌日に職場で聞かれるから、エピソードを作っておきたい」という依頼。友人代行として一緒にチョコを選んでほしいという依頼もある。高齢の方から「亡くなった夫の代わりにチョコを受け取りにきてほしい」という電話をいただいたこともある。

季節の行事は、人を包み込むと同時に、人を追い詰める。僕たちの仕事が2月に増えるのは、この社会の優しさと残酷さが同時に表れる月だからだと思う。

600人の「妻」から受け取ったもの

僕はこれまで600人以上の女性の「夫」を務めてきた。そのうち何人からバレンタインのチョコレートを受け取っただろう。正確には数えていないけれど、少なくない数だ。

面白いのは、皆それぞれ渡し方が違うということ。照れながら押しつけてくる人。きちんとテーブルに並べてプレゼンテーションする人。「義理だから」と笑いながら渡す人。黙って僕のカバンに入れておく人。

一度だけ、泣きながらチョコレートを渡された人がいた。仮名で雅子さん。彼女は夫をDVで失っている。正確には、夫から逃げた。「夫にチョコを渡す」という行為が、彼女にとってどれだけの意味を持つか。安全な相手に、安心して、自分の気持ちを渡すこと。それがどれだけの回復になるか。雅子さんは翌年、実際のパートナーを見つけて、僕への依頼を卒業した。「石井さんで練習できたから」と最後に言われた。

僕に依存してほしくない。僕を使って、本当の人間関係を築いてほしい。いつもそう思っている。でも、「練習」と言ってもらえたとき、この仕事の意味をひとつ、確かに受け取った気がした。

本当はこんなサービスはないほうがいい

2月14日の夜、すべての訪問を終えて帰宅する。カバンの中には、いくつかの紙袋が入っている。手作りのもの、デパートのもの、コンビニのもの。どれも僕宛てであって、僕宛てではない。

本当はこんなサービスはないほうがいい。チョコレートを渡す相手が、最初からそばにいる社会のほうがいい。母親に嘘をつかなくていい社会。娘が学校でうつむかなくていい社会。一人でいることが、こんなにも痛くない社会。

でも、今はまだ、そうじゃない。

だから僕は2月14日に「ありがとう」と言い、チョコレートを受け取る。笑う。照れる。「来年も楽しみにしてるよ」と言う。その言葉は演技かもしれない。でも、受け取った手のひらのあたたかさは、嘘じゃない。

帰りの電車で、紙袋の中のガトーショコラをひとつ、開けて食べた。甘かった。少しだけ、しょっぱかった。それが僕の感情なのか、誰かの感情なのか、もうわからない。わからなくていいと、最近は思っている。

「感情が本物なら、それは本物だ」

— 石井裕一