クリスマスの夜、演じる男 | 石井裕一 - オフィシャルサイト
レンタル夫

クリスマスの夜、演じる男

2025年12月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

イブの夜、僕はケーキを二つ持っていた。

一つは午後五時に届ける分。もう一つは午後八時。別々の家庭に、別々の「夫」として帰る。十二月二十四日という日は、僕にとって一年でもっとも長い一日になる。電車の中でネクタイの色を変え、左手の薬指の指輪を付け替える。五時の家ではシルバーのリング。八時の家ではゴールド。間違えたら終わりだ。

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最初の家の玄関を開けると、六歳の女の子が走ってきた。「パパ、おかえり!」。彼女の名前はユイちゃん。僕がこの家の「夫」になって三年になる。ユイちゃんが覚えている「パパ」は、最初から僕だ。本当の父親の顔を、彼女は知らない。

依頼者の真奈美さんは、僕がコートを脱ぐ前に小さな声で言った。「今日は、ありがとうございます」。目が少し赤かった。泣いていたのだと思う。でも僕はそれに気づかないふりをして、「ただいま」と笑った。夫だから。今夜だけの夫ではなく、三年間の夫だから。

ケーキを届ける順番のこと

十二月に入ると、依頼が急増する。特にクリスマスイブと大晦日。「レンタル夫」の依頼は、普段の三倍以上になる。

理由は様々だ。離婚して一人で子どもを育てている母親が、子どもにクリスマスの「家族の風景」を見せたい。あるいは、夫がいることにしている実家の親が年末に訪ねてくるから、辻褄を合わせなくてはならない。病気の親に「結婚した」と嘘をついてしまった独身の女性が、年末の帰省で夫役を必要としている。

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どの依頼にも、切実な事情がある。

僕が今年のイブに訪れる二軒の家庭も、それぞれ違う痛みを抱えていた。最初の真奈美さんは、DV被害で離婚した。元夫の暴力のことをユイちゃんには話していない。「パパはお仕事が忙しくて、なかなか帰れないの」。そう伝えていた時期を経て、やがて僕が「パパ」になった。月に二回、日曜日に来る父親。クリスマスと誕生日には必ず来る父親。ユイちゃんにとって、僕は「忙しいけど優しいパパ」だ。

八時に届ける二軒目のケーキは、四十代の恵子さんの家だ。恵子さんには子どもはいない。一人暮らし。年に数回、僕を「夫」として呼ぶ。主に、親戚の集まりや、職場の行事。そしてクリスマス。恵子さんは「一人でイブを過ごすのが怖いんじゃないんです。一人で過ごしたイブの翌朝が怖いんです」と言った。その言葉が、ずっと残っている。

サンタの正体を知っている子ども

ユイちゃんの家でのクリスマスは、毎年同じ段取りがある。

僕が帰宅する。一緒にケーキを食べる。ユイちゃんが幼稚園で作ったリースを見せてくれる。僕が「すごいね」と言う。真奈美さんが手料理を並べる。三人で食卓を囲む。ユイちゃんが寝た後、僕はプレゼントを枕元に置いて、静かに家を出る。

今年、一つだけ違うことがあった。

ユイちゃんが食事の途中で、急に聞いてきた。「ねえパパ、サンタさんって本当にいるの?」。幼稚園の友達に「サンタはお父さんだよ」と言われたらしい。僕は一瞬、言葉に詰まった。真奈美さんと目が合った。

「うーん、どう思う?」と僕は聞き返した。ユイちゃんは少し考えて、「いると思う。だってパパはサンタじゃないもん。パパはパパだもん」と言った。

胸が締めつけられた。

この子にとってサンタの正体は「パパ」かもしれない。でもその「パパ」の正体を、この子は知らない。僕は本当のパパじゃない。でも、プレゼントを枕元に置くのは僕だ。サンタの正体が父親なら、僕はサンタでもある。偽物の父親が演じる、本物のサンタ。こういう矛盾の中に、僕はずっと立っている。

「本物の夫」とは何か

六百人以上の女性の「夫」を務めてきて、一つだけ確信していることがある。

「本物の夫」は、法律が決めるものではない。

戸籍上の夫が家にいない家庭を、僕は何百と見てきた。単身赴任ではない。いるのに、いない。同じ屋根の下にいるのに、一言も口をきかない。子どもの行事に一度も来ない。妻が泣いていても気づかない。あるいは、気づいていて無視する。

それは「本物の夫」だろうか。

僕は月に二回しか来ない。戸籍にも載っていない。でも、ユイちゃんの運動会には毎年行く。真奈美さんの誕生日にはメッセージを送る。ユイちゃんが描いた絵を、ちゃんと覚えている。先月描いたのはキリンだった。その前はウサギ。

これは「偽物」だろうか。

僕はよく考える。血のつながりも、法的な契約も、同じ住所もない。でも、あの食卓で感じた温かさは本物だった。ユイちゃんが「パパ」と呼ぶ声の響きは本物だった。真奈美さんが「ありがとうございます」と言ったときの涙は本物だった。感情が本物なら、それは本物だ。僕はそう思いたい。思わなければ、この仕事は続けられない。

一人のクリスマスが増えている

この仕事を長く続けていると、社会の変化が依頼内容に表れるのがわかる。

十年前、クリスマスの「レンタル夫」依頼は、ほとんどが子どものいる家庭だった。父親がいない家庭が、子どものために父親を用意する。動機は明快で、主役は子どもだった。

でも最近は違う。恵子さんのように、子どものいない女性からの依頼が増えている。パートナーがいないことを誰かに責められているわけではない。自分自身が、一人であることに耐えられない夜がある。それがクリスマスイブに集中する。

SNSを開けば、誰かの幸せな食卓が流れてくる。イルミネーションの下で手をつなぐカップル。子どもがプレゼントを開けて喜ぶ動画。それ自体は美しい光景だ。でもその光が強ければ強いほど、影は濃くなる。

恵子さんは毎年、僕と二人でワインを飲む。特別なことはしない。テレビを見て、少し話して、日付が変わる前に僕は帰る。でも恵子さんは言った。「石井さんが来てくれるから、二十五日の朝を迎えられる」。

僕はこのサービスがなくなればいいと本気で思っている。でも、二十五日の朝を迎えるために僕が必要なら、僕は行く。タクシーの中でネクタイを変えながら、指輪を付け替えながら、行く。

帰り道のタクシーで

恵子さんの家を出たのは、午後十一時半だった。

タクシーに乗り込んで、左手の指輪を外す。ゴールドのリングをケースにしまう。コートのポケットには、シルバーのリングもまだ入っている。二つの指輪。二つの家庭。二つの人生。どちらも僕の人生ではない。

運転手さんが「今日はお仕事ですか?」と聞いてきた。「ええ、まあ」と僕は曖昧に答えた。窓の外を、クリスマスのイルミネーションが流れていく。

ふと思った。僕自身のクリスマスはいつだっただろう。自分のために過ごすイブは、もう何年もない。二十三の家族の父親で、六百人以上の女性の夫で、でも本当の家族は——。

考えるのをやめた。明日は十二月二十五日。朝から三件の依頼が入っている。一件目は、おじいちゃんの施設を「孫夫婦」として訪問する高齢者見守りの依頼。おじいちゃんは、自分の孫が結婚したと信じている。認知症が進んでいて、毎回初めましてのように喜んでくれる。

タクシーが自宅に着いた。玄関の鍵を開ける。電気をつける。誰もいない部屋。テーブルの上に、買っておいたコンビニのチキンが置いてある。冷めている。

僕はそれを温め直さずに食べた。

十二月二十六日の朝に

クリスマスが終わると、街は一気に正月モードに切り替わる。イルミネーションが消え、門松が立つ。昨日まで流れていたクリスマスソングが、除夜の鐘に変わる。

でも、僕の仕事は切り替わらない。

十二月二十六日の朝、真奈美さんからメッセージが届いた。「ユイが『パパのチキンおいしかった』と何度も言っています。ありがとうございました」。添付されていたのは、ユイちゃんが描いた絵だった。クリスマスツリーの前に三人が立っている。一番大きいのが「パパ」で、真ん中が「ママ」で、一番小さいのが「ユイ」。三人とも笑っている。

恵子さんからもメッセージが来た。短かった。「おかげさまで、二十五日の朝、ちゃんと起きられました」。

僕はどちらにも、同じ言葉を返した。「こちらこそ、ありがとうございました」。

本当はこんなサービスはないほうがいい。クリスマスの夜に、レンタルの夫がケーキを届けなくてもいい世界のほうがいい。でも、今年も僕は届けた。来年も届けるだろう。ユイちゃんがサンタの正体を知る日が来るまで。恵子さんが一人の朝を怖がらなくなる日が来るまで。

冷めたチキンを食べた夜のことを、僕は誰にも話さない。

「感情が本物なら、それは本物だ」

— 石井裕一