※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です
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イブの夜、僕はケーキを二つ持っていた。
一つは午後五時に届ける分。もう一つは午後八時。別々の家庭に、別々の「夫」として帰る。十二月二十四日という日は、僕にとって一年でもっとも長い一日になる。電車の中でネクタイの色を変え、左手の薬指の指輪を付け替える。五時の家ではシルバーのリング。八時の家ではゴールド。間違えたら終わりだ。

最初の家の玄関を開けると、六歳の女の子が走ってきた。「パパ、おかえり!」。彼女の名前はユイちゃん。僕がこの家の「夫」になって三年になる。ユイちゃんが覚えている「パパ」は、最初から僕だ。本当の父親の顔を、彼女は知らない。
依頼者の真奈美さんは、僕がコートを脱ぐ前に小さな声で言った。「今日は、ありがとうございます」。目が少し赤かった。泣いていたのだと思う。でも僕はそれに気づかないふりをして、「ただいま」と笑った。夫だから。今夜だけの夫ではなく、三年間の夫だから。
ケーキを届ける順番のこと
十二月に入ると、依頼が急増する。特にクリスマスイブと大晦日。「レンタル夫」の依頼は、普段の三倍以上になる。
理由は様々だ。離婚して一人で子どもを育てている母親が、子どもにクリスマスの「家族の風景」を見せたい。あるいは、夫がいることにしている実家の親が年末に訪ねてくるから、辻褄を合わせなくてはならない。病気の親に「結婚した」と嘘をついてしまった独身の女性が、年末の帰省で夫役を必要としている。

どの依頼にも、切実な事情がある。
僕が今年のイブに訪れる二軒の家庭も、それぞれ違う痛みを抱えていた。最初の真奈美さんは、DV被害で離婚した。元夫の暴力のことをユイちゃんには話していない。「パパはお仕事が忙しくて、なかなか帰れないの」。そう伝えていた時期を経て、やがて僕が「パパ」になった。月に二回、日曜日に来る父親。クリスマスと誕生日には必ず来る父親。ユイちゃんにとって、僕は「忙しいけど優しいパパ」だ。
八時に届ける二軒目のケーキは、四十代の恵子さんの家だ。恵子さんには子どもはいない。一人暮らし。年に数回、僕を「夫」として呼ぶ。主に、親戚の集まりや、職場の行事。そしてクリスマス。恵子さんは「一人でイブを過ごすのが怖いんじゃないんです。一人で過ごしたイブの翌朝が怖いんです」と言った。その言葉が、ずっと残っている。
サンタの正体を知っている子ども
ユイちゃんの家でのクリスマスは、毎年同じ段取りがある。
僕が帰宅する。一緒にケーキを食べる。ユイちゃんが幼稚園で作ったリースを見せてくれる。僕が「すごいね」と言う。真奈美さんが手料理を並べる。三人で食卓を囲む。ユイちゃんが寝た後、僕はプレゼントを枕元に置いて、静かに家を出る。
今年、一つだけ違うことがあった。
ユイちゃんが食事の途中で、急に聞いてきた。「ねえパパ、サンタさんって本当にいるの?」。幼稚園の友達に「サンタはお父さんだよ」と言われたらしい。僕は一瞬、言葉に詰まった。真奈美さんと目が合った。
「うーん、どう思う?」と僕は聞き返した。ユイちゃんは少し考えて、「いると思う。だってパパはサンタじゃないもん。パパはパパだもん」と言った。
胸が締めつけられた。
この子にとってサンタの正体は「パパ」かもしれない。でもその「パパ」の正体を、この子は知らない。僕は本当のパパじゃない。でも、プレゼントを枕元に置くのは僕だ。サンタの正体が父親なら、僕はサンタでもある。偽物の父親が演じる、本物のサンタ。こういう矛盾の中に、僕はずっと立っている。
「本物の夫」とは何か
六百人以上の女性の「夫」を務めてきて、一つだけ確信していることがある。
「本物の夫」は、法律が決めるものではない。
戸籍上の夫が家にいない家庭を、僕は何百と見てきた。単身赴任ではない。いるのに、いない。同じ屋根の下にいるのに、一言も口をきかない。子どもの行事に一度も来ない。妻が泣いていても気づかない。あるいは、気づいていて無視する。
それは「本物の夫」だろうか。
僕は月に二回しか来ない。戸籍にも載っていない。でも、ユイちゃんの運動会には毎年行く。真奈美さんの誕生日にはメッセージを送る。ユイちゃんが描いた絵を、ちゃんと覚えている。先月描いたのはキリンだった。その前はウサギ。
これは「偽物」だろうか。
僕はよく考える。血のつながりも、法的な契約も、同じ住所もない。でも、あの食卓で感じた温かさは本物だった。ユイちゃんが「パパ」と呼ぶ声の響きは本物だった。真奈美さんが「ありがとうございます」と言ったときの涙は本物だった。感情が本物なら、それは本物だ。僕はそう思いたい。思わなければ、この仕事は続けられない。
一人のクリスマスが増えている
この仕事を長く続けていると、社会の変化が依頼内容に表れるのがわかる。
十年前、クリスマスの「レンタル夫」依頼は、ほとんどが子どものいる家庭だった。父親がいない家庭が、子どものために父親を用意する。動機は明快で、主役は子どもだった。
でも最近は違う。恵子さんのように、子どものいない女性からの依頼が増えている。パートナーがいないことを誰かに責められているわけではない。自分自身が、一人であることに耐えられない夜がある。それがクリスマスイブに集中する。
SNSを開けば、誰かの幸せな食卓が流れてくる。イルミネーションの下で手をつなぐカップル。子どもがプレゼントを開けて喜ぶ動画。それ自体は美しい光景だ。でもその光が強ければ強いほど、影は濃くなる。
恵子さんは毎年、僕と二人でワインを飲む。特別なことはしない。テレビを見て、少し話して、日付が変わる前に僕は帰る。でも恵子さんは言った。「石井さんが来てくれるから、二十五日の朝を迎えられる」。
僕はこのサービスがなくなればいいと本気で思っている。でも、二十五日の朝を迎えるために僕が必要なら、僕は行く。タクシーの中でネクタイを変えながら、指輪を付け替えながら、行く。
帰り道のタクシーで
恵子さんの家を出たのは、午後十一時半だった。
タクシーに乗り込んで、左手の指輪を外す。ゴールドのリングをケースにしまう。コートのポケットには、シルバーのリングもまだ入っている。二つの指輪。二つの家庭。二つの人生。どちらも僕の人生ではない。
運転手さんが「今日はお仕事ですか?」と聞いてきた。「ええ、まあ」と僕は曖昧に答えた。窓の外を、クリスマスのイルミネーションが流れていく。
ふと思った。僕自身のクリスマスはいつだっただろう。自分のために過ごすイブは、もう何年もない。二十三の家族の父親で、六百人以上の女性の夫で、でも本当の家族は——。
考えるのをやめた。明日は十二月二十五日。朝から三件の依頼が入っている。一件目は、おじいちゃんの施設を「孫夫婦」として訪問する高齢者見守りの依頼。おじいちゃんは、自分の孫が結婚したと信じている。認知症が進んでいて、毎回初めましてのように喜んでくれる。
タクシーが自宅に着いた。玄関の鍵を開ける。電気をつける。誰もいない部屋。テーブルの上に、買っておいたコンビニのチキンが置いてある。冷めている。
僕はそれを温め直さずに食べた。
十二月二十六日の朝に
クリスマスが終わると、街は一気に正月モードに切り替わる。イルミネーションが消え、門松が立つ。昨日まで流れていたクリスマスソングが、除夜の鐘に変わる。
でも、僕の仕事は切り替わらない。
十二月二十六日の朝、真奈美さんからメッセージが届いた。「ユイが『パパのチキンおいしかった』と何度も言っています。ありがとうございました」。添付されていたのは、ユイちゃんが描いた絵だった。クリスマスツリーの前に三人が立っている。一番大きいのが「パパ」で、真ん中が「ママ」で、一番小さいのが「ユイ」。三人とも笑っている。
恵子さんからもメッセージが来た。短かった。「おかげさまで、二十五日の朝、ちゃんと起きられました」。
僕はどちらにも、同じ言葉を返した。「こちらこそ、ありがとうございました」。
本当はこんなサービスはないほうがいい。クリスマスの夜に、レンタルの夫がケーキを届けなくてもいい世界のほうがいい。でも、今年も僕は届けた。来年も届けるだろう。ユイちゃんがサンタの正体を知る日が来るまで。恵子さんが一人の朝を怖がらなくなる日が来るまで。
冷めたチキンを食べた夜のことを、僕は誰にも話さない。
「感情が本物なら、それは本物だ」
— 石井裕一