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クリスマスの夜、演じる男

2024年12月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

イルミネーションが街路樹を覆い尽くす十二月の夜、僕はスーツの胸ポケットに小さなメモを忍ばせていた。「長女・美咲、8歳。好きなキャラクターはすみっコぐらし。次女・結衣、5歳。最近ハマっているのはプリキュア。妻役の依頼者・恵さん、36歳。長女の前では『パパ』、次女の前では『おとうさん』と呼ばれる」。呼び名が違うことにも理由がある。長女が物心ついたころ僕を「パパ」と呼び始め、次女はそれを真似せず自分の言葉で「おとうさん」を選んだ。そういう小さなリアリティを落とすと、子供はすぐに気づく。だから僕はメモを読む。何度も読む。クリスマスイブの夕方五時、駅前のケーキ屋でホールケーキを受け取り、恵さんのマンションに向かう。チャイムを鳴らすと、ドアの向こうから「おとうさん来た!」という結衣ちゃんの声が聞こえた。僕はその瞬間、石井裕一であることをやめる。名前は「田中健一」。恵さんの夫であり、この子たちの父親だ。

予約が殺到する十二月

十二月はファミリーロマンスにとって一年で最も忙しい月のひとつだ。クリスマス、年末の帰省、忘年会。人が「誰かと一緒にいる」ことを求められる場面が、これでもかと押し寄せてくる。レンタル夫の依頼はこの時期に跳ね上がる。理由は様々だけれど、一番多いのは「子供にクリスマスの思い出を作ってあげたい」というものだ。

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恵さんのケースもそうだった。離婚して三年。元夫とは連絡が取れない。長女の美咲ちゃんは父親がいないことを友達に知られたくなくて、学校では「パパは出張が多い」と説明しているらしい。クリスマスだけは家族四人で過ごしたい。恵さんはそう言った。「たった一日でいいんです」と。

でも「たった一日」は、たった一日では済まない。子供は記憶する。去年のクリスマスに何を食べたか、パパが何を言ったか、どんな顔で笑ったか。だから僕は前回の訪問の記録を全部読み返す。美咲ちゃんが去年描いてくれたサンタの絵のことも、結衣ちゃんがケーキのイチゴを僕の皿に載せてくれたことも、覚えていなければならない。演じるとは、忘れないことだ。

ツリーの前で撮る家族写真

食卓にはチキンとサラダとポタージュスープ。恵さんが朝から準備してくれたらしい。僕はコートを脱ぎ、エプロンを借りてケーキの箱を開ける。「パパ、今年もチョコレートケーキだね」と美咲ちゃんが言う。去年と同じものを選んだことに気づいてくれた。こういう瞬間に、胸の奥がぎゅっとなる。

食事の後、リビングに置かれた小さなツリーの前で写真を撮った。恵さんがスマホのタイマーをセットして、四人で並ぶ。結衣ちゃんが僕の膝の上に座り、美咲ちゃんが隣で少し照れたようにピースサインをする。シャッターが切れる。

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この写真は、恵さんのスマホのカメラロールに保存される。もしかしたらリビングに飾られるかもしれない。僕が「田中健一」として存在した証拠が、この家に残り続ける。それが嬉しいのか、それとも怖いのか。正直に言えば、両方だ。写真の中の僕は笑っている。その笑顔に嘘はない。でも「田中健一」は存在しない人間だ。存在しない人間の笑顔が、本物の思い出になる。この矛盾を、僕はもう何年も抱えている。

「感情が本物なら、それは本物だ」と言い切れるか

よく聞かれる。「演じていて虚しくならないんですか」と。答えは、ならない。少なくとも、その場にいる間は。結衣ちゃんが「おとうさん、だいすき」と言ってくれたとき、僕の心が動かないわけがない。その感情は本物だ。感情が本物なら、それは本物だ——僕はそう信じてきた。

でも、帰り道に考える。僕がこの子たちの人生に与えている影響について。美咲ちゃんはいつか気づくだろう。父親と呼んでいた人が、母親がお金を払って来てもらっていた他人だったと。その日が来たとき、今夜のクリスマスの記憶はどう変質するのだろう。楽しかった思い出が、裏切りに変わるのか。それとも「それでも楽しかった」と言ってくれるのか。僕にはわからない。わからないまま、僕は来年もクリスマスイブにケーキを買ってこの家を訪れるだろう。

本物とは何か。この問いに答えが出る日は、たぶん来ない。でも問い続けることをやめたら、僕はただの「嘘をつく仕事」をしている人間になる。問い続けている限り、かろうじて誠実でいられると思っている。

六百人の「妻」が教えてくれたこと

僕はこれまで六百人以上の女性の「夫」を務めてきた。クリスマスに限らず、入学式、卒業式、七五三、授業参観。人生の節目に、隣にいる男が必要とされる場面は驚くほど多い。

依頼の理由は人それぞれだ。離婚した人、死別した人、最初から結婚していない人。DVから逃げてきた人もいる。共通しているのは、「社会が家族の形を決めつけてくる」という息苦しさだ。学校の書類には「保護者」の欄が二つある。運動会のプログラムには「お父さんと一緒に走ろう」という競技がある。ひとり親であることは、この国では今もどこか「欠けている」と見なされる。

僕の存在はその穴を一時的に埋める。でも、本当はこんなサービスはないほうがいい。親がひとりでも、ふたりでも、血がつながっていてもいなくても、どんな家族の形でも「それでいい」と言える社会なら、僕の出番はない。けれど現実は違う。必要としている人がいる限り、僕は続ける。クリスマスの夜も、入学式の朝も。

プレゼントを渡した後のエレベーター

夜九時。子供たちにプレゼントを渡し、歯磨きを見届け、「おやすみ」を言った。恵さんが玄関まで送ってくれる。「今年もありがとうございました」と深く頭を下げられる。僕は「美咲ちゃんも結衣ちゃんも元気そうで良かった」とだけ答えて、ドアを閉めた。

エレベーターに乗ると、さっきまで「田中健一」だった僕が急速に解凍されていく。鏡に映る自分の顔を見る。まだ少し笑っている。この笑顔の残り香は、いったい誰のものなのだろう。石井裕一のものか、田中健一のものか。

マンションを出ると、街はまだクリスマスの光に溢れていた。カップルが手をつなぎ、家族連れがレストランから出てくる。僕のスマホが鳴る。明日のスケジュール確認。別の依頼者から「年末の帰省に同行してほしい」という相談。十二月はまだ終わらない。

自分のプライベートはどうかと聞かれることもある。正直に言えば、僕自身のクリスマスというものは、もうよくわからなくなっている。演じている時間が長すぎて、「素の自分」がどこにいるのか見失うことがある。これはこの仕事を続ける者が避けられない代償なのかもしれない。でも不思議と、それを不幸だとは思わない。

聖夜に灯る、名もなき光

帰りの電車で、恵さんからメッセージが届いた。「美咲が寝る前に『今日のクリスマス、今までで一番楽しかった』と言ってました」。画面を見つめる。返信を打とうとして、やめる。何を書いても嘘になる気がした。しばらくして、「それは僕も同じです」とだけ送った。嘘ではなかった。

クリスマスの夜、僕は演じる男だ。でも「演じる」という言葉が正確なのかどうか、年々わからなくなっている。子供たちの笑顔は演技ではない。恵さんの安堵も演技ではない。僕の中に生まれる温かさも、たぶん演技ではない。ただ、この関係に名前がない。家族でも、友人でも、恋人でもない。名前のないまま、確かにそこにある。

本当はこんなサービスはないほうがいい。何度でも言う。でも今夜、美咲ちゃんが「今までで一番楽しかった」と言ったあの言葉は、僕にとっても本物だった。名前のない光が、確かにあの部屋に灯っていた。それだけは、誰にも否定させない。

電車が僕の最寄り駅に着く。ホームに降りると、冷たい空気が頬を刺す。ポケットの中のメモを取り出す。「長女・美咲、8歳。次女・結衣、5歳」。このメモは来年、書き換えられる。美咲ちゃんは9歳になり、結衣ちゃんは6歳になる。僕はまたケーキを買い、あのチャイムを鳴らすだろう。その日まで、僕はこのメモを捨てない。

「感情が本物なら、それは本物だ」

— 石井裕一