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踏み台でいい——僕が使い捨てられることの、その先にあるもの

2024年11月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

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十一月の冷たい風が吹く公園のベンチで、僕は「娘」からの電話を待っていた。

仮に彼女を美咲と呼ぶ。美咲は今年、大学の推薦入試を受けた。僕が「父親」として彼女に関わり始めたのは、彼女が小学五年生のときだった。実の父親は美咲が三歳のとき家を出ていった。母親の恵子さんから最初に依頼を受けたとき、こう言われた。「授業参観に来てくれるお父さんが、一回だけでいいんです」。一回だけ。その言葉を、僕は何度聞いてきただろう。

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一回だけのはずが、運動会になった。運動会が終わると、次は三者面談になった。三者面談が終わると、美咲が「お父さん、今度の日曜、勉強教えて」と言った。恵子さんから電話が来て、「すみません、また甘えてしまって」と申し訳なさそうに謝られた。

僕は引き受けた。引き受け続けた。

それから何年も経って、美咲は高校三年生になった。推薦入試の前日、恵子さんからメッセージが届いた。「明日、美咲が終わったら電話すると思います。出てやってください」。

午後四時十二分。スマートフォンが鳴った。

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「お父さん、たぶん大丈夫だと思う。面接で、家族のことを聞かれたとき、お父さんが運動会で応援してくれたことを話した」

僕は「よくがんばったな」と言った。それ以上、何も言えなかった。

電話を切って、ベンチに座ったまま、しばらく動けなかった。十一月の風が冷たかった。僕の目が熱かった。あの子が面接で語った「お父さん」は僕のことだ。でも、僕は父親ではない。この矛盾を、僕はどう受け止めればいいのか。何年やっても、答えが出ない。

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ファミリーロマンスには、毎日いろいろな依頼が届く。

結婚式に出席する友人がいないから、友人役を十人頼みたい。上司のパワハラに対して、第三者として謝罪の場に同席してほしい。一人暮らしの母親が心配だから、定期的に訪問して安否を確認してほしい。離婚した夫の代わりに、子供の卒業式に出てほしい。

どの依頼にも、共通していることがある。「本来、そこにいるはずだった誰か」がいない、ということだ。

僕はその空白を埋める仕事をしている。

最近、ある結婚式の代理出席の案件があった。新婦側の友人が極端に少なく、親族も事情があってほとんど来られない。新婦の佳織さんは、最初の打ち合わせでこう言った。「バランスが悪いと、彼のご家族に申し訳なくて」。僕たちは友人三人と、従姉妹一人の役を手配した。事前に佳織さんと何度も打ち合わせをして、「大学のサークルで知り合った友人」という設定で、思い出話の細部まで詰めた。

披露宴の最中、スタッフの一人が佳織さんの隣で涙を流していた。演技ではなかった。彼女はその日、本当に佳織さんの幸せを願っていた。式が終わった後、そのスタッフが僕にこう言った。「石井さん、私、演じてたはずなのに、途中から本気で嬉しかったんです。これって、おかしいですか」。

おかしくない、と僕は答えた。感情が本物なら、それは本物だ。

でも、佳織さんとそのスタッフが今後会うことはない。式が終われば、関係は終わる。僕たちはそういう仕事をしている。

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「踏み台」という言葉を初めて使ったのは、ある母親との会話のなかだった。

シングルマザーの由紀さんは、息子の翔太くんの父親役を僕に依頼していた。翔太くんは当時中学二年生で、思春期の真っ只中にいた。学校で問題を起こし、担任から「お父さんと一緒に来てください」と言われた由紀さんが、僕に電話をかけてきた。

学校に行き、担任と話し、翔太くんにも話をした。帰り道、三人で歩いているとき、翔太くんがぽつりと言った。「お父さんが来てくれて、なんか安心した」。由紀さんは黙ってうつむいていた。

その夜、由紀さんから長いメッセージが届いた。「石井さんに頼り続けることが、翔太にとっていいことなのか、わからなくなりました」。

僕は正直に答えた。

「僕は踏み台でいいんです。由紀さんと翔太くんが、僕なしでやっていける日が来ること。それが僕のゴールです」

本当にそう思っている。僕に依存してほしくない。僕を使って、本当の人間関係を築いてほしい。僕は補助輪だ。いつか外れるべきものだ。

でも、現実はそう簡単じゃない。

美咲は七年間、僕を「お父さん」と呼んできた。翔太くんも、その後何度も僕を頼ってきた。高齢者の見守りサービスで月に二度訪問していた八十三歳の吉田さんは、僕のスタッフを「孫みたいなもんだ」と言って笑っていた。吉田さんが亡くなったとき、そのスタッフは葬儀に出られなかった。遺族は僕たちの存在を知らない。知らせるわけにもいかない。

踏み台は、踏まれることで役割を果たす。でも踏み台にも感情がある。そのことを、僕はいつも忘れないようにしている。

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僕が「父親」をしている家族は、今二十三ある。三十五人以上の子供たちが、僕を「お父さん」だと思っている。六百人以上の女性の「夫」を務めてきた。五千人以上のスタッフがいるけれど、僕は今も現場に立ち続けている。

なぜ続けるのか。

よく聞かれる。メディアの取材でも、スタッフからも、友人からも。たまに、自分自身からも。

答えはいつも同じだ。本当はこんなサービスはないほうがいい。でも、必要としている人がいる限り、続ける。

人間は一人では生きられない。でも、すべての人がちょうどいいタイミングで、ちょうどいい相手と、ちょうどいい関係を築けるわけではない。孤立している人がいる。頼れる人がいない人がいる。結婚式に呼べる友人がいない人がいる。子供に見せられる父親がいない人がいる。老いて、誰の訪問もない人がいる。

その空白を、僕たちは一時的に埋める。永遠にではない。少なくとも、そうあるべきだと僕は思っている。

血がつながっていれば本物の家族か? そんな単純な話ではない。毎日一緒にいれば本物の友人か? 契約があれば偽物の関係か? じゃあ本物って、一体なんだ。

僕にはわからない。何千件もの依頼をこなしてきて、何百人もの「家族」を演じてきて、それでもわからない。

ただ一つだけ、確かなことがある。

美咲が「お父さん」と僕を呼ぶとき、あの子の声は震えていない。まっすぐだ。その声の中にある信頼は、本物だ。僕がそれに応えようとする気持ちも、本物だ。

その瞬間だけは、偽物も本物もない。ただ、二人の人間がそこにいる。

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十一月も終わりに近づいている。

美咲の合格発表は、もう少し先だ。恵子さんからは「結果が出たら、また電話させてください」と連絡があった。

僕は待っている。踏み台として。

もし美咲が大学に入り、新しい環境で新しい人間関係を築き、やがて僕を必要としなくなる日が来たら——それは、僕の仕事が成功したということだ。

忘れてくれていい。使い捨ててくれていい。

ただ、あのとき公園のベンチで、僕の目が熱くなったこと。あれだけは僕のものだ。誰にも渡さない。

踏み台にだって、譲れないものはある。

「本当はこんなサービスはないほうがいい。でも、必要としている人がいる限り、続ける」

— 石井裕一