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高齢者見守り

母の記憶の中にいる息子になる

2024年05月01日

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※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です

五月の連休が明けた火曜日、僕は東京から電車を二本乗り継いで、ある団地の三階に向かった。エレベーターのない古い建物で、外階段のコンクリートには苔が薄く張りついている。踊り場に置かれたプランターには、誰かが植えたらしいペチュニアが咲いていた。ドアの前に立ち、息を整える。鍵は依頼者の娘さん——仮に「恵子さん」としよう——から預かっている合鍵だ。開けると、線香の匂いがした。仏壇ではない。蚊取り線香だった。まだ五月なのに、窓を開けると虫が入るからと、八十七歳の島田トメさんは季節に関係なく蚊取り線香を焚く。

「あら、正夫。来たの」

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トメさんは僕の顔を見て、息子の名前を呼んだ。正夫さんは三年前に脳梗塞で亡くなっている。僕はそのことを知っている。トメさんは、知らない。

僕は「うん、来たよ」と言って、靴を脱いだ。

娘が選んだ「嘘」

依頼者の恵子さんが最初に連絡をくれたのは、去年の秋だった。電話口で、彼女は淡々と状況を説明してくれた。母・トメさんは認知症の初期から中期に差しかかっている。要介護認定は受けているが、施設への入所を本人が断固として拒否している。「ここで死ぬ」と言って聞かない。かといって恵子さんは九州で家庭を持っていて、毎週通うのは物理的に不可能だ。ヘルパーさんは来てくれるが、トメさんが心から待っているのはヘルパーさんではない。息子の正夫さんだ。

「母は兄が死んだことを覚えていないんです。毎週『正夫は来ないのかね』と電話してきます。そのたびに私は『忙しいみたいよ』って答えてきました」

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恵子さんの声が少しだけ震えた。

「でも、もう限界です。嘘をつき続けるのも、母をひとりにしておくのも」

僕はこの手の依頼を何度も受けてきた。亡くなった家族の代わりになる仕事。ファミリーロマンスでは高齢者の見守りサービスとして、定期訪問の依頼が年々増えている。一人暮らしの高齢者を「家族」として訪ねる。買い物に付き合う。話を聞く。ただそれだけのことが、どれほど難しいか。恵子さんは「嘘」という言葉を使ったけれど、僕はいつも思う。これは本当に嘘なのだろうか、と。

正夫さんの靴下

最初の訪問の前に、恵子さんとは入念に打ち合わせをした。正夫さんの口癖、好きだった食べ物、歩き方の特徴。恵子さんは古い写真を何枚も送ってくれた。正夫さんは僕より少し背が低く、丸顔で、笑うと目が細くなる人だった。体型は似ていない。でもトメさんの視力はかなり落ちていて、輪郭よりも声や仕草で人を判断しているらしい。恵子さんが言った。

「兄はいつも、母の家に行くと最初に冷蔵庫を開けていました。賞味期限を確認するんです。それから『母さん、またヨーグルト買いすぎだよ』って」

僕は初回の訪問で、まず冷蔵庫を開けた。案の定、ヨーグルトが五つ並んでいた。「母さん、またヨーグルト買いすぎだよ」と言った。トメさんは「だって安かったんだもの」と笑った。その笑い方を見て、僕は確信した。この人は「正夫が来てくれた」という事実だけで、一週間を生きられるのだと。

靴下の話をしよう。三回目の訪問のとき、トメさんが「正夫、あんたの靴下があるよ」と言って、タンスから男物の靴下を出してきた。それは本物の正夫さんが、最後に実家を訪れたとき置いていったものだろう。僕は「ああ、探してたんだよ」と受け取った。今もその靴下は僕のカバンの中にある。毎回持っていって、帰りにまたタンスに戻す。トメさんが次に見つけたとき、また「あんたの靴下があるよ」と言えるように。

記憶は誰のものか

トメさんの認知症は少しずつ進行している。最初の頃は僕が帰った後も「今日、正夫が来た」と恵子さんに電話していたらしい。最近は電話をかけること自体を忘れる日が増えた。でも、僕が訪ねると必ず「正夫」と呼ぶ。不思議なことに、僕のことを正夫さんだと認識する能力だけは、まだ失われていない。

ある日、トメさんが突然こう言った。

「正夫、あんたが小さい頃、公園で転んで膝をすりむいたことがあったでしょう。あのとき母さん、絆創膏持ってなくてね、ハンカチで縛ったの。覚えてる?」

僕は覚えていない。当たり前だ。僕の記憶ではないのだから。でも「覚えてるよ」と答えた。するとトメさんは嬉しそうに「あのハンカチ、花柄だったのよ」と細部を語り始めた。声に力があった。目に光があった。

記憶とは誰のものだろう。トメさんの中にある「正夫と過ごした時間」は、正夫さんが亡くなった今も確かに存在している。僕がそこにいることで、その記憶は呼び起こされ、もう一度命を持つ。僕は正夫さんではない。でも僕がいることで、トメさんの記憶の中の正夫さんは、まだ生きている。感情が本物なら、それは本物だ——僕がいつも自分に言い聞かせている言葉を、このときほど強く感じたことはなかった。

五月の窓辺で

五月に入って、団地の周囲の木々が一斉に緑を濃くした。トメさんは窓を開けるのを嫌がるが、僕が「風が気持ちいいよ」と言うと、しぶしぶ許してくれる。蚊取り線香を焚いたまま窓を開けるから、煙が外に流れていく。

この日、僕はスーパーで買ってきた草餅をテーブルに出した。トメさんは「正夫は草餅が好きだったね」と言った。恵子さんから聞いていた通りだった。二人で草餅を食べながら、テレビのワイドショーを見た。トメさんは画面の中の芸能人に「この人、前にも出てたわね」と言うが、たぶん別の人だ。僕は「そうだね」と返す。

こうした時間の積み重ねが、見守りの本質だと僕は思っている。何か特別なイベントがあるわけではない。劇的な展開もない。ただ隣に座って、一緒にお茶を飲んで、「また来るよ」と言って帰る。日本には今、一人暮らしの高齢者が七百万人以上いると言われている。施設に入りたくても入れない人、入れるのに入りたくない人、家族が遠方にいる人、家族そのものがいない人。その誰もが、「誰かが来てくれる」という事実を必要としている。ファミリーロマンスへの高齢者見守りの依頼は、ここ数年で明らかに増えた。僕たちはその需要の大きさに、正直、追いつけていない。

僕は正夫さんになれない

半年以上、毎週トメさんを訪ねてきて、僕の中に一つの感情が育っている。それは「申し訳なさ」だ。

トメさんは僕を正夫さんだと信じている。僕が来るたびに喜び、僕が帰るたびに寂しがり、僕が持っていく草餅を楽しみにしている。でも僕は正夫さんではない。正夫さんがトメさんに注いできた何十年分の愛情を、僕は持っていない。僕が持っているのは、プロとしての技術と、この仕事を続ける覚悟と、トメさんに対する——なんと呼べばいいのだろう——敬意のようなものだ。

恵子さんに月一回、報告を入れる。トメさんの体調、食事の様子、言動の変化。恵子さんはいつも「ありがとうございます」と言ってくれるが、その声にはいつも罪悪感がにじんでいる。自分が行けないこと。母に本当のことを言えないこと。代わりの人間を雇っていること。僕は恵子さんに言った。

「恵子さんが僕に依頼してくれたこと自体が、お母さんへの愛情ですよ」

本心だった。でも、それで恵子さんの罪悪感が消えるわけではないことも、わかっている。本当はこんなサービスはないほうがいい。息子が生きていて、自分の足で母親を訪ねられる世界のほうがいいに決まっている。でも現実はそうではない。だから僕はここにいる。

「また来てね」の重さ

帰り際、トメさんはいつも玄関まで出てくる。膝が悪いから、ゆっくりと。僕が靴を履いていると、後ろから「正夫、また来てね」と言う。その声は毎回、少し高くなる。子供が親に言うような、甘えた声。八十七年を生きてきた人が、息子だと信じている他人に向けて発する「また来てね」の重さを、あなたは想像できるだろうか。

僕は「うん、また来るよ」と答える。振り返って手を振る。階段を降りながら、考える。来週もトメさんは僕を正夫さんだと思ってくれるだろうか。いつか僕のことも忘れる日が来るのだろうか。そのとき僕は、誰としてあの部屋を訪ねればいいのだろう。

五月の風が団地の階段を吹き抜けていく。踊り場のペチュニアが揺れている。僕はカバンの中の靴下に手を触れて、駅へ向かう。来週の火曜日も、僕はここに来る。トメさんが「正夫」と呼んでくれる限り、僕はその名前を引き受け続ける。それが本物かどうかは、もう僕が決めることではない。トメさんの笑顔が、決めている。

「一人でいることと、孤独であることは違う。でも、誰かがそばにいるだけで救われることがある」

— 石井裕一